読書の秋と言いながら、最近手を動かす方が多くて本を読むペースはのんびりです。
少し前に為末大さんの『熟達論』という本を紹介したと思うのですが、この本の中で「型」について書かれた部分を読むと、ペン習字についても同じことが言えるなと思います。
為末さんはこの本の中で熟達という言葉について、
熟達とは人間をそのままの存在としてとらえて学習していくことである。技能を通じて「私」の扱い方を学び、私を通じて「技能」が探求されるということだ。
『熟達論』為末大 著 より
と、書かれていて、その熟達には「遊」「型」「観」「心」「空」の5つの段階があるとおっしゃっています。本の中ではその5つの段階について順番にそれぞれ詳しく書かれています。
その中の「型」の部分の文章、どこか一部を取り上げるのは難しいほど「そうだな」と思えることばかりだったのでした。
これまでペンの持ち方や練習の仕方、いろいろなよくない癖を直すために大変な思いをした経験がある私にとって、この部分は特に納得でした。
型とは良い癖だとも言える。癖の力は強い。だからこそ、身につける最初の時点で基本的な型を自分に癖づけることが、後々有利に働いていく。
『熟達論』為末大 著 より
型の上に技能が載り、その型を中心に環境がつくられ、その型が繰り返し使われ、定着するようになる。日常に組み込まれた学習はどんどん定着していく。だから型は重要なのだ。
私の場合、ペンの持ち方のよくない癖がずっとあったのですが、それで何とか書けていたので直そうとしてもなかなか変えられずにいました。
よくない癖が当たり前になり、心地よい状態だと無意識に感じていると、変えようと思っても元に戻る力が働く。何とかなっているんだから、変える必要がないとどこかで思ってしまっていたのかも知れません。
それが結局手を痛めることになっていまい、私自身はやっとこの2年ほどで手を痛めない正しい持ち方をできるようになりました。練習のしすぎもありましたが(これは練習方法のよくない癖)、逆にこれまでのやり方を変えるにはそれくらいのことが必要だったのかもと、今は思えます。
それくらい思考の癖も、体の使い方の癖も、一度癖になってしまったものはなかなか変えにくいということなのかも。
ペン習字に限らず何か「学び」について興味がある方には、発見がたくさんある本だと思います。ぜひ読んでいただきたいおすすめの一冊です。